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施工 株式会社住まいの松木
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完成した社務所の雪の日の様子です。
工事着工前の様子です。神楽殿と入り口屋根の解体からはじめます。
解体工事
神楽殿の解体が始まりました。 ここに新しい社務所をたてます。
地鎮祭
解体が終わり地鎮祭をしています。
基礎工事
丁梁りを掛け基礎工事が始まりました。
べた基礎の地業をしています。
待合の土間床部はスタイロホームア50の断熱をしています。
上棟式
土台も敷き終わり、上棟式前日から建て出しました。
翌日棟木も上がり上棟式を執り行っています。
槌打ちの儀式です。
梅雨が来るので大急ぎで、屋根木工事をしています。
化粧仕上げなので雨には絶対濡らせません。
化粧垂木,茅負,裏甲と納めています。
野垂木を入れています。
野地板,フェルトを張っています。 フェルトを張ってしまえば安心です。
破風板も取りつき、もう雨の心配は無くなりました。
屋根葺き工事が始まりました。
GL鋼板葺きです。
外部土間部格天井をくんでいます。
格天井が完成しました。板は無垢も杉板です、 手前天井は杉竿縁天井です外回りなので合板などは、使えません。
外長押工事をしています。
平行して船肘木も取り付けています。
柱止めが多く(ヒナトメ)を6か所切りました。
拝殿えの登り口,スロープと階段を施工しています。
左官工事も始まりフェルトと網張をしています。
漆喰壁の下地モルタルを塗っています。
裏側板壁も完成しました。
漆喰壁を塗り始めました。
左官工事も終わり足場も外れて外回りは、ほぼかんせいです。
内部も引き渡しに向け最終仕上げです。
テレビも待合,と事務室に天井吊りで設置しました。
拝殿の脇部屋に通じる入り口です。
拝殿左脇の旧受付,御朱印所部分解体土間工事です。
旧拝殿入り口に敷いてあった石をつかって車のお祓い所の石敷きが始まります。
施工 株式会社住まいの松木
完成 令和2年
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令和元年の台風の被害を受けて屋根が飛ばされた、随身門です。銅板が無くなっています。
台風の風で銅板を屋根下地に止めておく吊り子が浮いてしまい銅板でシートをかけた状態になってしまいました。 風が吹くと銅屋根が、今にも飛ばされそうにふわふわ動く状態です。
屋根撤去工事
足場を掛け銅板の撤去作業が始まりました。
剥がして見ると屋根下地も相当傷んでいました。
鳥ヤスメもぐらぐらな状態です。
神社関係者も誰も知らなかったのですが、正面左隅木の所が火事になり、補修が施されていました。
木工事
屋根葺き替えにあたり、野地板など全般にわたり屋根下地の改修工事を施しました。
屋根葺き工事
屋根張工事が始まりました。緑青色のガルバリウム鋼板で葺きます。
完成しました。
鬼は既存の物を補修し棟,鳥ヤスメは、銅板で補修,葺き替えしで仕上げました。
拝殿側から見ています。
参考: 随神門は、寛文年間に再建され市の文化財になっているそうです。組物は出組で組れ、垂木は扇,飛猿垂木となっていて、割り付けは鎌倉割,等間割とあるそうですが、よほど調査しないと解りません。 神技と言われる規矩術(計算術)の中でも最難事と言われる仕事です。
私も大工になった者として一度は三手先,飛猿,扇垂木と挑戦する機会があったらいいなと思っています。
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甲府市住吉にある住吉神社の歴史は古く、聖武天皇の御代には現在の高畑(荒川の辺り)にあり、後に武田家代々の軍陣守護の神となり、稲積の庄一条小山(現在の舞鶴城公園)に移りました。甲府城築城により文禄年間(1592~1595)に現在の地に移ってきました。
現在の拝殿、本殿は寛文8年(1668年)に再建されたもので、屋根は宝歴6年(1756年)に葺き替えられました。やはり江戸時代に建てられた随身門は確かな建築技術で、今に至るまでその美しさに圧倒されます。
今も大勢の人が地区の内外から手を合わせに訪れる、人々の心に寄り添った神社です。
建立から350年が経ち、建物の各所に傷みが目立ち始めたので、この度拝殿、本殿の改修を行うことになりました。
修復された本殿内部
ヨロビの修正
建物のヨロビを修正しています。また軒下の右端の組物が欠損しているのが分かります。
本殿内部の修復
本殿内部は板壁が傷み隙間だらけです。装飾物の塗りも色があせていました。
板壁ではなくボードにクロス貼りで仕上げました。
組物の再現
組物が無くなっています。
組物の部材です。
右側が再現された組物、塗装により違いが分かりずらいです。